メタバースの原典「スノウ・クラッシュ」いま復刊の理由 早川書房編集者・一ノ瀬氏に聞く

2021/11/30
早川書房の「スノウ・クラッシュ」編集担当者、一ノ瀬翔太さん(29)

「メタバース」という言葉を生んだ小説「スノウ・クラッシュ」。近未来のアメリカを描いたSF小説で、主人公の高速ピザ配達人、ヒロ・プロタゴニストが仮想空間の”メタヴァース”で、「スノウ・クラッシュ」というドラッグを試してみないかと誘われる。それをきっかけに大きな事件にまきこまれていく――。といったストーリーだ。日本ではアスキー(1998年10月)や早川書房(2001年4月)から出版されていたものの、すでに絶版になっていた。

”メタバース”を体現する2つの作品 「スノウ・クラッシュ」は日本で復刊、2022年1月予定

しかし、11月1日に、早川書房の編集者、一ノ瀬翔太氏(29)がTwitterで「スノウ・クラッシュ」の復刊を予告し、話題を呼んでいる。

メタバースの「原典」ともいえる「スノウ・クラッシュ」、なぜいま復刊されることになったのだろうか。その経緯や、復刊にかける思いを聞いた。

■ザッカーバーグの発言で「メタバースが来る」と直感

今回、復刊される「スノウ・クラッシュ」は2022年1月25日の発売を予定している。だが、実際に一ノ瀬氏が編集会議に企画書を出したのは、今年の8月のことだった。

「もともとTwitterなどで『読みたいのに、中古本が1万円以上する』といった声を目にすることがありました。また、今年7月に、Facebook社(現Meta)のザッカーバーグCEOが『今後はメタバース企業になる』と発言したことから、これはメタバースが絶対来る!と思ったのです」(一ノ瀬氏)

復刊本であっても、翻訳本の権利取得にかかる手間は新刊の発売とほとんど変わらない。絶版となったあとは、すでに翻訳・出版権が筆者に返却されているためだ。今回も、原作者である米国のSF作家、ニール・スティーヴンスン氏に復刊を申し出たところ、スムーズに承諾されたという。

■GoogleやOculus、Linkedin…テックジャイアントCEOの愛読書だった

メタバースの「原典」として注目を集めている「スノウ・クラッシュ」だが、一時的な注目を集めているだけではない。特に米国では、多くのIT企業のCEOらが、同書を愛読書として挙げている。それだけでなく、起業やビジネスモデルそのものが「スノウ・クラッシュ」の世界観に影響を受けた、と表明しているCEOも多い。

ダイヤモンドオンラインの「ビッグテックの真の創造主!? ――ニール・スティーヴンスン(宮本道人)」から引用すると、例えばGoogle創業者のラリー・ペイジは、同書の愛読者だという。同じくGoogleを共同創業したセルゲイ・ブリンは「Google Earth」に同書が影響していると述べ、ほかにもLinkedinの創業者リード・ホフマン、Oculusの創業者であるパルマ―ラッキー、PayPalの創業者ピーター・ティールなど、そうそうたるテックジャイアントのCEO達が「スノウ・クラッシュ」のファンであると公言しているのだ。

同書の魅力について、一ノ瀬氏はこのように語る。

「主人公の”ヒロ”はマフィアが経営する高速ピザの配達人、まあ今でいうところのUberEatsの配達みたいなことをやっているわけですが、凄腕ハッカーであり、世界最高の剣士でもあるという盛りだくさんの設定です。ストーリーもカーチェイスあり、チャンバラ、爆破ありと息をつく間もなくスピーディーに展開します。謎の勢いがあって、一気に読めてしまうのが不思議なところです」(一ノ瀬氏)

原作者のニール氏は思想家の一面も持っており、ブルーオリジン社(Amazon創業者のジェフ・ベソスが設立した、民間宇宙飛行会社)のアドバイザーなども務めている。

「メタバースの原典として注目されていますが、言語SFとしての魅力も大きいと思います。主人公が古代シュメール文明にさかのぼって、言語や意識について延々と会話を繰り広げるパートもあり、それが本作のSF的なストーリー展開に大きく関わってくるからです。『虐殺器官(伊藤計劃)』や、近年『メッセージ』というタイトルで映画化された『あなたの人生の物語(テッド・チャン)』などの言語SF小説が好きな人にも、ぜひ手に取ってみてほしいですね」(同)

■メタバースでは本当に自由に生きられるのか

実は3D酔い(VRゴーグルを装着すると乗り物酔いのような状態になってしまう症状)しやすい、という一ノ瀬さん。しかしメタバースの今後には強い関心を抱いている。

「最近では、コロナでZoomのオンライン会議が普及する一方で、リアル、つまり物理的な存在の価値を改めて感じた人が多いと思います。職場に出勤したほうが、部下に声を掛けて雑談はしやすい、等ですね。もしメタバースによってリアルとオンラインのいいとこどりができるとすれば、より様々な可能性が広がるはずです」(同)

「インターネットそのものもそうだと思いますが、珍しいもの、新しいものではなく、当たり前のように使う”インフラ”になった時にこそ、本当におもしろいものになるのではないでしょうか。一方で『メタバースでは現実世界の階級差や様々な隔たりを解消できるのでは』という期待も高まりますが、そればかりではないだろう、とも思います」(同)

例えば「スノウ・クラッシュ」の”メタバース”内では、マシンの性能が許す限り、自分が好きな姿に自由に変化できるという設定がある。しかし、物語が進んでいくうちに、現実世界のお金持ちは鮮やかで美しいアバターになれるが、お金でアバターを着飾ることができない人は公共の白黒アバターを使うしかない、という描写が現れる。現実世界の”貧富の差”が、仮想世界までついていってしまうのだ。

「否応なしに、様々な法律や規制が必要になるでしょう。Meta(旧Facebook)がそのあたりを整備するのか、公共事業として国が整備するのかは未知数ですが」 (同)

また、シリコンバレーの起業家達が同書に魅せられた理由として 、前述の「ビッグテックの真の創造主!? ――ニール・スティーヴンスン」では興味深い考察も挙げられていると、一ノ瀬氏は話す。

「‥筆者の見解では、この小説をシリコンバレーのバイブルに押し上げた言葉は別にある。『フランチャイズ国家』だ。国家が分裂して弱体化する一方で、企業が巨大化して国家を凌駕する――。そんな世界観がこの造語によってくっきりとした輪郭を与えられ、起業家たちの壮大な未来構想に火を付けた。それが数々のビッグテックを生み出した原動力になったように思えてならないのだ」

「ビッグテックの真の創造主!? ――ニール・スティーヴンスン」(ダイヤモンドオンライン)

つまり、テックジャイアントのCEO達は「スノウ・クラッシュ」の世界観の中でも、”企業として大きくなれば、国家をも凌駕することができる”という設定に”夢”を見たのではないか、というのだ。現実に、いわゆる”Web2.0型企業”とされるGAFAは、今や小さな国家をも凌ぐ力を持っている。

富、権力、そこから生まれる貧富の差や支配する者とされる者――。およそ30年ほど前に執筆された「スノウ・クラッシュ」だが、”予言”であるかのように、様々な示唆に富んでいる。